山小屋の守り人たち

地元の仲間と手分けして

信濃毎日新聞 掲載

平成26年08月22日(金)

スクラップ


中ア「空木駒峰ヒュッテ」を運営する山岳会メンバー

林秀也さん(70)駒ヶ根市

 今月11日、台風11号は県内から遠ざかったが、中央アルプスの山々は雲に覆われていた。駒ヶ根市の池山林道登山口から、雨の中を歩くこと6時間弱。空木岳(2864b)の山頂直下で、濃い霧を割るように、こぢんまりとした建物が姿を現した。地元の山岳愛好家でつくる「駒峰山岳会」が運営する「空木駒峰ヒュッテ」だ。

 「晴れていれば北ア、南ア、富士山まで見えるんだけどね」。登山口から案内してくれた林秀也さん(70)=駒ヶ根市赤穂=は残念そうだ。駒峰山岳会員としてヒュッテに関わり、50年近くになる。

 ヒュッテは木造2階建て約230平方b。素泊まりのみで、1階は「自炊席」、2階は就寝に使う。小屋番は会員が交代で務めるが、夏山最盛期や週末が中心。カップ麺など軽食や水の販売も最低限だ。

 ただし、戸をたたく登山者は断らない。定員32人で、約90人が泊まったこともある。林さんは、小屋番の手配などヒュッテの運営を中心的に担う。登山者が多い夏場は切り回しに苦心する。

 中学時代に学校登山が待ち切れなかったと言う林さんは20代前半で、1955(昭和30)年発足の駒峰山岳会に入った。56年の日本山岳会隊によるヒマラヤ・マナスル(8163b)初登頂をきっかけに、社会人山岳会ブームが起こっていたころ。仲間と各地の山を巡り、技術を磨いた。

 花こう岩の白にハイマツの緑が映える空木岳も登山者が増え、遭難事故が発生。69年、登山者の安全を守る避難小屋としてヒュッテが建てられた。林さんはブロックを担いで登り、建て替え時も汗を流した。テラスのペンキ塗り、雨どいの修理、トイレの維持管理などに加え、高山植物の保護や登山道整備を駒峰山岳会の25人ほどで手分けして担っている。

 特別なサービスはない。11日も、登山者が自炊席で携帯こんろなどを使い、食事を作っていた。「(登山道で)お会いしましたね」 「きょうはどちらから」。自然と近くに座り、会話が弾む。「こんな山小屋があってもいいじゃない」と林さん。「俺はここを自分の家ぐらいに思ってる。みんなもそうじゃないかな」

 登山の在り方が多様化し、全国的に山岳会は高齢化が進む傾向だ。駒峰山岳会も主に活動するのは40〜70代。若手は仕事との兼ね合いで小屋番などに出づらい。このままでは山岳会としてヒュッテを運営できなくなるのではないか−との心配は林さんにもある。

 それでも、アルバイトを雇ったり小屋を誰かに任せたりすることは考えていない。「先輩たちが続けてきた俺たちの拠点。まだできる。」半世紀近く小屋を守ってきた山岳会の一員としての自負がにじんだ。(宮澤 久記)

写真:青空、白い花こう岩、緑のハイマツ…。空木岳山頂を間近に望む空木駒峰ヒュッテ=20日
空木駒峰ヒュッテでくつろぐ林さん


空木駒峰ヒュッテ 1963(昭和38)年1月、空木岳南側あん部で大学生2人が遭難し死亡した事故をきっかけに、駒崎山岳会が頂上直下の国有林を借り、会員らが古材やブロックを運び上げて69年に建設。98年に建て替えて現在の建物となった。営業期間は7月中旬〜10月上旬。登山者の少ない時期や平日は小屋番がいないこともあるが、小屋は開放している。