あんぜん登山の最前線 (下)

低体温症の知識不可欠

意識障害は突然に

信濃毎日新聞 掲載

平成25年12月21日(土)

スクラップ


 2012年5月4日早朝、福岡県太宰府市の自営業稲永雅利さん(64)は、50〜70代の山仲間5人と北アルプス涸沢の山小屋を出発した。天気は良かったが、午後に急変。雲が空を覆い、雨がみぞれに、そして雪に変わり、稜線上には強い風が吹き始めた。

 「せっかくここまで来たけん」。6人は目指す穂高岳山荘に向かって歩き続けた。午後4時ごろ、女性1人が動けなくなった。稲永さんを含む計3人がツエルト(簡易テント)をかぶってビバーク(露営)し、残る3人が助けを求めるために同山荘に急いだ。

 稲永さんら3人は重ね着をし、透湿性や防水性、保温性に優れた最新の登山ウエアを身に着けていたが体はぬれていた。「着替えろ」。稲永さんの指示で他の2人も乾いた下着に着替え、行動食も食べてじっと救助を待った。

 午後9時、3人は救助隊に発見された。稲永さんは「大丈夫。まだ歩けます」と答えた。震えが始まっていたが、救助隊貞と一緒に歩き始めた。しかし、意識があったのは岩場のはしごを登ったところまでだった。「突然、意識を失った」と稲永さんは言う。

 低体温症−。日本山岳ガイド協会特別委員で東京都の医師、金田正樹さん(67)は稲永さんから状況を聞き、意識を失った原因をそう判断した。同じパーティーで先行した3人のうち、70代男性1人も低体温症で死亡していた。

 低体温症は、09年7月に北海道・トムラウシ山で8人が死亡した事故で注目された。金田さんは事故の調査特別委員会に加わり、ほかの山で低体温症から生還した人や医療機関への聞き取りを継続。実態解明が進んでいない山岳地での低体温症のメカニズムを明らかにしつつある。

 金田さんは、体温低下を食い止める対策はこれまで考えられていた以上に一刻を争う、と指摘する。「体温の下がるスピードが速いと、防寒着を取り出す間もなく意識障害が起きる」

 稲永さんらが遭難した同じ日、北ア白馬岳では北九州市の医師ら6人パーティーが死亡する大旦壷過難が発生した。氷点下になっても雨が凍らず、降ったその場で氷に変わる「雨氷」に遭った可能性が明らかになった。

 6人の遺体は凍りついていたといい、金田さんは「体温が、意識障害が起きるく33度以下に急低下した」とみている。

 金田さんによると、高山で体がぬれて風にさらされると、体温は15分に1度下がることがある。稲永さんのように全身が震える体温34度は、平地なら「軽度」の低体温症状だが、高山では意識を失う33度まであっという間だ。

 高山では必ずツエルトを持参して強風時の稜線は避ける必要がある、と金田さん。体温の維持に必要な1日3000〜3500`iの食料を小まめに補給し、どんな季節でも温かい飲み物を携帯すべきだという。

 救助された後、まだ歩けると判断して意識を失った稲永さんは「低体温症に対する知識が足りなかった」と振り返る。「山で起きる低体温症について知識を深め、それを防ぐ術を知ることが、安全のための最大の装備だ」。金田さんはそう話している。

写真:万全の装備で]北アルプス八方尾根を登る登山者。腰まで埋まる深雪を進むと汗や雪で体がぬれ、風が吹けば体温が奪われる=14日