危険への備え 広がるヘルメット着用

あんぜん登山の最前線

信濃毎日新聞 掲載

平成25年07月03日(水)

スクラップ


 県内の山岳遭難件数は、2010年から3年連続で最多を更新した。夏山シーズンを控え、山岳関係者は「安全登山」を意識した取り組みを本格化させている。県内で遭難件数が最も多い北アルプスの槍・穂高連峰は、岩場が多い山域のため、登山者が身を守る試みが多角的に広がる。残雪の現象から、安全意識の最前線に迫った。         (松崎林太郎)

 残雪の北アルプス・洞沢では、冬から春にかけて岩肌から落ちた大小の石が雪面のあちこちに転がっている。6月23日早朝、北穂高岳(3106b)を目指して山小屋「涸沢ヒュッテ」(2310b)を出発した登山用品店アルバイト堤志子芋さん(44)=松本市=は雪の急斜面を登り、浮き石だらけで崩れやすいガレ場を慎重に通過した。時折小石が転がり落ちる。難所を通過した後「ヘルメットを持ってきて良かった」と、ほっとした表情を見せた。

 堤さんは、涸沢ヒュッテが今季始めたヘルメットの有償貸し出し(1日千円)を利用した。県山岳遭難防止対策協会が6月、北穂高岳を含む北ア南部など県内山岳5地域を「着用奨励山域」に指定したことを受けて始めた。

 ヘルメット着用奨励のきっかけの一つになった遭難事故は昨年夏、穂高連峰で起きた。 「しまった」。そう思った時には手遅れだった。手足を乗せ体重を移した岩が丸ごとはがれ、体が宙に浮いた。7bほど垂直に落ち、傾斜45度以上の急斜面を転がった。

 和歌山県橋本市の会社員室井岳男さん(48)は昨年8月27日、奥穂高岳(3190b)から西穂高岳(2909b)への切り立った岩場を歩いていた。北ア屈指の険しい縦走路だ。フランス語で衛兵を指す岩峰「ジャンダルム」を越えた先で道に迷った。戻るべきだったが、誤ったルートに踏み込み、浮き石に乗った。

 必死にもがいても体の回転が止まらない。ガツン、ガツン…。奥穂高岳の山頂であごひもをきつく締めたヘルメットに岩が当たる音が響く「死」という言葉が脳裏をよぎった。約150b転がり、岩の間に挟まり止まった。

 「生きているぞ!」。力いっばい叫んだ。右手は動かず、左脚は膝から首積に曲がっていた。同じルートを歩いでいた登山者が救助要請して、ヘリコブターで松本市内の病院に搬送。手足の靭帯を断裂、左肩や骨盤などの骨折、左膝脱臼の重傷を負った。だが頭のけがはなく、一命を取り留めた。

 高校山岳部から30年余の登山歴がある。「ヘルメットは重く」岩登りで着用するもの。縦走登山でかぶるのは格好悪い」と考えていた。しかし3年前、北穂高岳近くを登っていた時、すぐ前にいた登山者の頭を落石が直撃した事故を目撃して考えが変わった。

 今回は先輩からもらった軽量の新しいヘルメットを初めて着用していた。「これがなかったら死んでいた」。退院を間近に控え、治療を続ける堺市内の病院で振り返った。

 県警山岳遭難救助隊によると、2012年の夏山(7〜8月)で遭難した117人のうち、30人(25・6%)が頭のけがをした。頭のけがは致命傷につながる。

 メーカーの技術が進化し、かつて約500cあったヘルメットは、最近は100c台のものもある。蒸れにくいものが普及し、デザインも豊富になった。

 「(ヘルメット着用で)必ず助かるわけではないが、着用すれば命が助かる確率は確実に高まる」。北ア南部地区山岳遭難防止対策協会の救助隊長でもある涸沢ヒュッテの山口孝社長(65)はこう語る。「覚悟や備えがないまま安易に入山する登山者に、危険を認識してもらうきっかけにしたい」。安全への願いをヘルメットに込める。

写真:涸沢ヒュッテからヘルメットを着用して北穂高岳を目指す登山者=6月23日


 ヘルメットの着用奨励山域 県山岳遭難防止対策協会が指定した県内5地域の山小屋などに計約200個を配り、今夏までに貸し出しを始める。5地域は北ア南部(穂高連峰一帯、槍ヶ岳の東鎌尾根や北鎌尾根)、北ア北部(鹿島槍ヶ岳北側の八峰キレット周辺、唐松岳北側の不帰峻=かえらずのけん=周辺)、南アルブス(甲斐駒ケ岳、鋸岳)、中央アルプス(宝剣岳)、戸隠連峰(戸隠山、西岳)。