芳野満彦さん死去

登山家北ア岩壁開拓

信濃毎日新聞 掲載

平成24年02月07日(火)


 北アルプス穂高連峰の岩壁を開拓し、日本人初のマッターホルン北壁登撃(とうはん)で知られる登山家で山岳画家の芳野満彦(よしの・みつひこ、本名服部満彦=はっとり・みつひこ)さんが5日午後11時30分、心不全のため水戸市内の病院で死去した。80歳。東京都出身。自宅は水戸市備前町7の32の903。葬儀・告別式は13日午前11時から水戸市堀町2106の2、水戸市斎場で。喪主は妻真理子(まりこ)さん。

 17歳の時に冬の八ヶ岳連峰で吹雪に遭い、凍傷で両足の土踏まずから先を切断する重傷を負ったが、その後も北アルプス徳沢で冬に小屋番などをしながら岩壁登撃に挑戦。冬の前穂高岳の正面岩壁を初登攣もした。1965(昭和40)年にはヨーロッパアルプス三大北壁の一つ、マッターホルン北壁を日本人初登攣。新田次郎の小説「栄光の岩壁」のモデルにもなった。


斜面 2012.2.9(信濃毎日新聞社)

 画家で登山家の芳野満彦さんといえばあの山靴だ。サイズは12a。この靴で内外の大岩壁を制覇し「五文足のアルピニスト」と呼ばれた。原村八ヶ岳美術館で3年前に開いた絵画展にも展示されていたから、目にした人も多いだろう◆17歳のとき友人と二人で冬の八ヶ岳に挑んで遭難、凍傷で両足の土踏まずから先を失った。普通なら歩けなくなるところを超人的努力で乗り越えた。遭難から17年後、日本人として初めてマッターホルン北壁登頂を果たしている。新田次郎の小説「栄光の岩壁」のモデルにもなった◆先鋭的クライミングを続けながら、芳野さんは友を失った痛みを忘れることはなかった。著書「山靴の音」に書いている。冬の上高地で小屋番をしていたときのこと。外からは風の音。それは「八ヶ岳の稜線で風雪の中に倒れた友の寝息に似ている」と◆「山靴の音」にはこんな言葉も残っている。「許してくれ。僕は君になんといっておわびしたらよいだろう」。あのとき彼が言った通りに行動していたら、という悔恨。八ヶ岳の麓で開いた絵画展は、亡き友への鎮魂でもあっただろう。若き日の痛恨事にこだわり続けた人である◆畦地梅太郎、尾崎喜八、深田久弥…。一時代前の登山家には文学、芸術でも立派な仕事を残した人が多い。芳野さんはそんな一人だった。80歳の訃報とともに、一つの時代が終わっていく。