さすが山の医師

頼れるフットワーク

危険でも交通手段なくても

朝日新聞 掲載

平成23年04月22日(金)


 「夜はちゃんと眠れていますか? 幻聴はないですか?」

 17日午前10時、宮城県石巻市の山あいの民家の一室。斉藤健太郎医師(39)は正座して、74歳の女性に優しく語りかけながら診察を始めた。

 斉藤医師は日本登山医学会に所属する。専門は精神科と内科。東京都内で「恵比寿 山の診療所」を開いている。大学卒業後から登山を始め、モンブランやキリマンジャロの登頂経験がある。日本登山医学会は東日本大震災後、医療支援隊の有志を募った。齋藤医師はすぐに名乗りをあげた。

 東京・渋谷の自宅から石巻市までは約500`。自らワゴンタイプの自家用車を運転する。フロントガラスには「日本登山医学会医療支援車両」の紙。先日27日から4週連続で石巻市に入り、避難所や民家で患者を診ている。助手を務める山本昌嗣(まさひで)さん(36)、中込太智(たいち)さん(34)は山仲間だ。齋藤医師の医院で働く若菜さち子さん(33)と患者の血圧を測ったり、薬を紙袋に詰めたりする作業を手伝ってもらっている。

 日本登山医学会は、高山病や低体温症など登山医学を研究する医師らで組織する団体。震災直後からその行動力や医学知識が期待された。

 同学会は震災から3日後には、公式サイトで被災者のための低体温症予防の情報を提供した。先月24日から会員たちが被災地に出向く、医療支援隊を派遣。がれきの山と化した被災地に入るのも、登山家ならお手のもの。これまで齋藤医師を含む医師や山岳関係者ら延べ23人の会員が被災地で医療支援にあたっている。同学会の増山茂理事(62)は「普通の医者が行けない危険な場所、交通手段のない場所でも行きます。学会として被災地の復興も応援したい」とアピールする。

 齋藤医師が初めて被災地入りした時は小雪が舞い、道路沿いはがれきの山だった。悪路を走り、タイヤは釘が刺さってパンクした。

 16日午後8時、齋藤医師は自宅を出発。夜の東北道をひた走ったり仙台市のビジネスホテルで仮眠。車には寝袋やヘッドランプなどの登山用具を積んでいる。いざ、という時はこうした装備が威力を発揮する。

 日付が変わって17日午前6時。ホテルを出て石巻市へ。北上川沿いの北上町内に入ると風景が一変した。そこにあるはずの集落がない。家の土台だけが残り」木材や壊れた車が散乱していた。

 高台にある北上中学校体育館の避難所で、保管する大量の薬の中から治療に必要なものを選んだ。「被災者にとっては、医師が来たというだけでも安心感を持ってもらえる」。斉藤医師は半袖の白衣を着て、患者が待つ避難所3カ所と民家へ向かう。

 北上川河口の十三浜地区の長観寺は山の斜面にあり、被災を免れた。避難所になり、約40人が暮らす。

 診察を受けた住職の妻、小松竜子さん(77)は「ここは被災地でも忘れられた地。でも、齋藤先生は毎週東京から来て、本気で私たちと向かい合ってくれる」と、無償のボランティア医療を感謝する。患者の多くは高齢者。齋藤医師は「被災者の多くは津波で家族を亡くし、家も失った。心的外傷で不眠や高血圧などの症状が目立つ」と話す。

 斉藤医師は、継続的な診察の大切さを訴える。別の医療チームが「問題なし」と診断していた92歳の男性患者も、3週連続の診察で緊急搬送が必要なぼど重症と分かったことがあった。

将来見据え今こそ経験

災害時も役立つ人材育てたい

 避難所では同学会の別チーム、竜宗政医師(67)と健康運動指導士の宮崎尚子さん(48)が、齋藤医師と合流した。2人は14日から石巻市に入り、テント生活をして避難所や病院で医療活動を続けていた。今回、2人は初めて支援隊に参加した。毎週被災地に入っている齋藤医師に同行し、今後の活動の参考にしようと考えた。同学会の活動は今後も広がっていきそう。

 登山医学会ならではの支援もある。

 車いす利用者用の仮設トイレの覆いには登山用テントの雨風を防ぐフライシートが利用された。テントは子どもたちの道び場所にもなった。寒い避難所でどうやって暖をとり、湿気を防ぐかなどのレクチャーも被災者にはありがたい。ロープやマット、ペンライト、アーミーナイフなども提供。炊き出しで喜ばれたボルシチは、山の男たちにとって得意料理の一つだ。

 齋藤医師らにとっても今回の医療支援活動は、貴重な実践の場でもある。

 スイスやドイツなどで導入されている国際認定山岳医制度を日本でも取り入れることになった。日本山岳医学会の幹部は「認定医制度は山岳遭難だけでなく、震災などの災害でも活躍できる人材育成の目的もある」と話す。齋藤医師も来年には取得を目指している。   (近藤幸夫)

写真:民家を訪れ、診察する齋藤健太郎医師(右)=宮城県石巻市、近藤写す
モンブランに登頂した齋藤医師=2002年9月、齋藤さん提供
避難所に設営したテントに入って遊ぶ子どもたち=3月26日、宮城県石巻市、増山茂さん提供


日本登山医学会

1981年に創立された。会員は医師や山岳関係者ら約700人。毎年、高山病や低体温症など登山医学に関するシンポジュウムを開き、夏山で山小屋の診療所を運営するネットワークを作っている。今年6月、日本初の国際認定山岳医が誕生する。