挑戦続けた田辺さんしのぶ

名古屋でお別れ会

全国の山岳関係者ら500人

信濃毎日新聞 掲載

平成23年01月30日(日)


 ネパール・ヒマラヤの高峰ダウラギリ(8167b)で昨年9月、雪崩に巻き込まれ遭難した、信大山岳会出身の田辺治さん=当時(49)=のお別れ会が29日、名古屋市で開かれた。信大時代の仲間や全国の山岳関係者ら500人を超える出席者が集合。山に挑み続けた田辺さんをしのんだ。

 田辺さんは昨秋、北安曇郡白馬村の本田大輔さん=当時(32)=らと登山中に遭難。捜索で本田さんの遺体は発見されたが、田辺さんを含む2人は見つからなかった。

 お別れ会では、同じ登山隊で助かった兵庫県芦屋市の島田和昭さん(37)が遠征の概要と遭難の状況を報告した。雪煙を巻き上げ高度差1500bを流れ落ちた雪崩を「雲が落ちてくるようで、自然の力に圧倒されるしかなかった」。田辺さんの山を見つめる真っすぐな目と、ネパールの人々を愛した笑顔が忘れられないと言い、涙ぐんだ。

 日本山岳会の尾上昇会長は、2006年に世界最難とされた冬季ヒマラヤのローツェ(8516b)南壁を初めて登った田辺さんの挑戦を語った。今回まで「田辺がリーダーを務めた登山隊は1人も遭難者を出していない」と極限での冷静な判断力を評し、「それでいて温和だった。いまだに彼の死が信じられない」と惜しんだ。

 田辺さんは信大山岳会で経験を積む中で山への思いを広げていった−と語ったのは、信大学士山岳会の宮崎敏孝会長=塩尻市。田辺さんは学生時代に初めて訪れたヒマラヤから下山した後、高熱にうなされた際に現地住民から助けられたといい、「『温かい心に触れたことが、その後もヒマうヤに向かう基礎になった』と言っていた」と紹介した。

 エベレスト南西壁を冬季に初めて登るなど8千b峰全14座のうち9座に登頂した田辺さん。父親の潔さん(81)=愛知県刈谷市=は「多くの方々に愛され、援助を得て世界の名峰に登頂することができ幸せな一生だったと思う」と感謝した。

写真:田辺さんをしのんで訪れた人たちで埋まったお別れ会会場