白馬岳遭難吹雪や雪崩捜索難航

ピバークの姉妹連絡取れず

信濃毎日新聞 掲載

平成18年10月9日(月)


 北アルプス・白馬岳(二、九三二b)で七日起きた七人パーティーの遭難で、大町署は八日、北安曇郡白馬村の登山口から県警山岳遭難救助隊員六人を山頂近くの現場に向かわせた。しかし、吹雪や白馬大雪渓での雪崩発生などのため途中で待機。ヘリコプターも悪天候で飛ばせず、同日午後五時にこの日の捜索を打ち切った。九日朝から再開する。

 大町署によると、パーティーは、福岡県大牟田市、登山ガイド田上和弘さん(48)が福岡市内のスポーツ用品店を通じて募集したツアー登山。同署の調べで、七日に死亡したとみられる二人は、山小屋に収容された女性が熊本県大津町の無職小場佐香代子さん(53)、稜線(りょうせん)上で倒れている女性が熊本市の無職渡辺和江さん(61)と判明した。

 ルート上では、いずれも福岡市在住で無職の、六十六歳と六十一歳の姉妹がビバークしたままとなっているが、連絡が取れないでいる。

 山小屋に収容された三人のうち、パーティーのサブガイドを務めた福岡県春日市の女性(42)と同県宗像市の女性(67)は凍傷などの軽傷。救助要請した田上さんはけがはないという。

 大町署が田上さんから電話で聞いた話によると、七日午後二時すぎから吹雪になり、着衣が凍り付いたような状況になった。福岡市の姉妹が、掛けていた眼鏡が曇って遅れ気味になったため、田上さんがこの姉妹に付き、ほかの四人を先に行かせた。

 ビバークのために、姉妹を横たわらせツェルト(簡易テント)をかぷせようとしたが、強風でツェルトが飛ばされた。このため、三人のザックを姉妹の体に乗せて、救助要請のためにその場を離れた。稜線に出てから約五十b登った場所で、先行の四人グループと出会ったが、既に一人が倒れていたという。

 登山経験豊富「予想外の積雪が原因」

 ガイドの田上和弘さんは、日本アルパイン・ガイド協会(東京)の認定ガイドで、ヒマラヤの世界第二の高峰K2(八、六一一b)に挑んだこともある経験豊かな登山家。パーティーは田上さんが募集したツアーで、参加したサブガイドの女性(42)とほかの女性五人も五年以上の登山歴があり、北アルプス縦走も経験していたという。

 田上さんは月に二、三回、福岡市内の登山用品専門店のスタッフとして常連客らに登山に関するアドバイスなどをしていた。同店によると、田上さんは、店内にツアー公告を掲示し、中級者を対象に参加者を募集。参加した六人は、これまでも何度か田上さんのツアーに参加したことがあるという。

 同店の浦一美代表(59)は「田上さんは、夏はほとんど北アルプスに行きっばなし。経験も豊冨で、無理はなかったと思う。予想外の積雪が原因としか考えられない」と話している。

 死亡したとみられる渡辺和江さんの長男の和郎さん(37)は八日午後、大町署に駆け付けた。「(母は)少なくとも四、五年前から山を登り始め、冬山に行くようになっていたし、山がおもしろいようだった。普段から山歩きのトレーニングはしていた。今は捜索を待つだけ。覚悟はできている」と、時折涙を浮かべ不安そうに話した。

 雨か雪か微妙な時期 荒天予報の中

 北アルプス・白馬岳で七人パーティーが遭難した七日は、日本の東海上を発達した低気圧が進み、中国大陸から寒気が入り込む冬型の気圧配置となったため、山頂付近は吹雪となった。十月初旬の北アは、雨になるか雪になるか微妙な時期。関係者からは、天候が荒れる予報の中で登山を決行した判断を疑問視する声が上がっている。

 同日救助に向かった山小屋従業員によると、当時の現場周辺は、「あられ状の雪が横なぐりに降りつけ、視界がほとんどない状態」だった。近くの山小屋への避難にかかった時間は二十-三十分ほど。場所によっては十-十五aの積雪があり「真っすぐ歩くことも難しかった」という。

 県内は、この低気圧の影響で、七日ころまでは雨が降るとの週間予報だった。長野地方気象台によると、低気圧は台風並みの勢力があり、「天気図から天候が荒れることは予見できた」と指摘する。

 同日午後九時の高層気象観測によると、日本の上空三、○○○b付近では風速二五bの強風が吹いていた。北ア山頂付近の状況について同気象台は「七日の日中も山沿いでは風速二〇bを超える強風だったとみられ、相当強い吹雪になったと推測できる」とする。

 冬型は八日も続き、松本測候所は平年より十五日早く常念岳の初冠雪を観測。南信州広域連合も同日、南ア・仙丈ケ岳で平年より十三日早く、塩見岳でも十七日早く観測した。

 六日にパーティーが泊まった富山県側の山小屋の従業員は、出発前、田上和弘さんに「雨ですけど大丈夫ですか」と声をかけている。その際、田上さんは2年前の同じ時期にも雨の中、同じルートをツアーで登った経験を挙げ、「大丈夫」と答えて出掛けたという。

 登山計画書によると、パーティーは七日朝、冨山県側の祖母谷(ばばだに)温泉を出発。尾根を登って稜線(りょうせん)に至り、同日夜は白馬山荘に宿泊する予定だった。しかし、そのルートは「健脚コース」として知られ、十時間前後かかる。

 県山岳協会の柳沢昭夫会長(66)=北安曇郡池田町=は「この尾根を一日で登るのは、中高年にはきつい。雨でぬれて体力が低下したところに、稜線で強風にさらされたとしたら最悪のケース」と話している。

関連:大日岳遭難訴訟


 奥穂高岳の夫婦は救助

 北アルプス・奥穂高岳(三、一九〇b)の岩場で動けなくなっていた四人グループの捜索は八日、悪天候で難航、同日午後に行った岐阜県警ヘリの上空からの捜索でも、深いもやで姿を確認できず、この日の捜索を打ち切った。九日朝から再開する予定。高山署によると、動けなくなっているのは千葉市緑区、中学校教員山田暁さん(58)ら男女四人で、八日早朝、グループから「山田さんが二、三b下に落ち返事がない。他の三人は無事」と伝えてきた。

 奥穂高岳と吊尾根最低コルの間で、七日夜から身動きが取れず救助を求めていた川崎市の夫婦は、八日午前七時すぎ、遭対協隊員に救助された。やや衰弱しているがけがはなく、隊員と歩いて穂高岳山荘に着いた。

 二人は、ともに小学校教諭で夫(28)と妻(30)。松本署などによると、本格的な登山経験が浅く、奥穂高岳に登るのは初めてだった。非常食は携帯していたが、テントは持たず、稜線(りょうせん)上の岩場で、重ね着をするなどして寒さをしのいだという。